「私のグループとの出会い」
福澤宏之
来年の日本集団精神療法学会第44回学術大会のテーマは、「グループとの出会い~対話へのプロローグ~」です。このテーマを前にして、私がこれまでどのようにグループと出会い、付き合ってきたのかを、改めて振り返りたいと思います。
正直に言うと、私は今大会の事務局長を引き受ける際、強い使命感や高い志があったわけではありませんでした。約10年間にわたり、共に自主シンポジウムを行ってきた大会長の二之宮さんから声をかけられたのがきっかけです。同じくシンポジウム仲間の高さんも事務局長を行うということで引き受けたものの、仕事が立て込むとSlack(共同作業のためのチャット)の議論についていけず、気づけば話がはるか先まで進んでいて冷や汗をかく日々です。第35回の札幌大会や昨年のIAGPで運営委員を担当した経験はあるものの、全体を把握する事務局長は自分の一番苦手な役割です。それでも、頼もしくて熱意あふれる運営委員に支えられながら、自分の能力の範囲でやれることをやろうと奮闘しています。
そんな私ですが、グループとの付き合いはすでに20数年になります。のめり込むわけでもなく、かといって身を引くわけでもない。この微妙な距離感を保ちながら関わり続けてきました。
私がグループに興味を持ったのは、最初に勤務した精神科病院で急性期の患者さんにグループを行っていたスタッフたちの姿を見た時でした。とても生き生きとしていて、「グループを学べば、現場で起こっていることの意味が分かる」「患者さんの社会復帰に役立てる」との期待を抱いたのです。
しかし、現実は思うようにいきませんでした。念願かなって職場でコンダクターを担当したものの、「話を聞くだけで問題を解決してくれない」「意味なんかない」と突き上げられ、胸が詰まるような思いを何度も味わいました。グループの勉強をしようと思い、田辺等先生がコンダクターを行っていた体験グループに参加しましたが、最初の数年間はとにかく怖かったのを覚えています。目の前で激しい感情のやり取りが繰り広げられ、発言しようと何度試みても、身体が震えて口を開くことができませんでした。
その後、鎌田明日香さんが立ち上げた若手中心の体験グループに参加し、そこではいくらかリラックスできました。とはいえ、そこでもやはり怖い思いをしたり、うんざりしたり、後味の悪いままセッションを終えることが何度もありました。体験グループに馴染み、少し気持ちが緩んだところでメンバーが重要な指摘をして緊張が走る。グループに参加して「楽しかった」「充実した時間だった」と思えたことは、実はそれほど多くはありません。
それでも私が今日までグループを続けてこられたのは、グループが「組織や集団の中で自分を見失わないようにしてくれる」からです。マジョリティでいられれば深く考えることなく集団に適応できるでしょうが、マイノリティの側に立つと場の空気に違和感を抱きます。そこで無自覚のうちに自分の気持ちに目を背け、周りに合わせようとして苦しくなる。その苦しさに気づき、集団の雰囲気に合わないことであっても自分の気持ちを言葉にして伝える――グループは、私にその大切さを教えてくれました。
また、グループでの学びは、「対立」との向き合い方を変えてくれました。相手と意見が異なる時、私は自分が脅かされたような気持ちになり、相手を言い負かそうとしたり、自分を守ろうとしたりします。表面的に同意を示し、その場から立ち去りたくなることもあります。しかし、グループの体験を積み重ねていくと、対立の渦中にあっても「落ち着くところに落ち着くな」とわずかな安心感を持てるようになりました。違いは違いとして受け止めながら同じ場に留まり続ける、別の機会にまた対話を続けられるベースとしての信頼感が生まれたのです。
こうした体験を通じて感じるのは、もっと多くの人にグループの魅力を知ってほしいということです。ただし、そのためには参加のハードルを少し下げる工夫も必要だと感じています。昔は「何も知らない状態でグループに飛び込むのが良い」とされる風潮があったように思いますが、それでは大きな衝撃を受けてドロップアウトしてしまうリスクもあります。あらかじめどのような感情体験が起こりうるのかをレクチャーしたり、メンバーの傷つきに対するグループ内外でのケアを行ったりすることが大切ではないかと思います。昨年から始まった「リフレクショングループ」も、その試みの一つであると理解しています。
私のような葛藤や迷いを抱えた者さえも受け入れてくれる懐の広さこそが、この学会の最大の魅力だと思います。「自分は自分でいいんだ」と思えるグループとの出会いを、ぜひ多くの人に体験してもらいたいと願っています。
日本集団精神療法学会公式HPコラム 2026年9月
pdfファイルで読む →私のグループとの出会い



